84. 万世大路 前編
2022年11月
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これまで83回の遠征で、沢山の日本を代表しうる峠道を自転車で越えてきた。天城峠安房峠箱根峠碓氷峠鳥居峠青崩峠矢ノ川峠大峠、と挙げればきりがなく、よく走ってきたと思う。万世大路栗子峠は、物理的に越えられないにも関わらず、これらの峠に匹敵し、もしかしたら凌駕し得る伝説の峠道だ。遅ればせながら走るときがやってきた。


今回は7:50に板谷駅を出発。今日は真冬の直前といってよく、日によっては東北を走るのは危ない時期だ。昨夜に前線が通過して雨が降っていて今は止んでいるが、今日の夕方以降は冬型になる。おそらく雪になってしまうだろう。元々は福島を出発して米沢方面に抜ける計画だったんだけど、山形側を早い時間帯に済ませてしまえば大丈夫だろうということで、ここから走り始めることにした。前回に到達した、栗子峠道の入口地点への最寄り駅といえる。

残念ながら鉄道は詳しくないので語れないのだが、自転車に乗って印象的なスノーシェッドを潜る。ここが道なのか駅なのか、曖昧な雰囲気がとてもよい。

R13に合流。見えないが、ありえない使い方をされている奥のオレンジ色の標識によると、福島も米沢もここから20 km。ちょうど中間地点だ。

まずは左折して米沢方面へ。少し上ると、特徴的な白い建物が見えた。西栗子トンネルの坑口だ。西栗子トンネルはS41竣工で、延長は2675 mもある。この時期に開削されたトンネルなので、もちろん歩道はない。板谷駅から走り始めたのはよい選択なのだが、ここを2回走らなきゃならないのは弱点といえる。

無心でペダルを漕いでトンネルを抜け、緩やかな下り坂を下るとあっという間に見覚えのある標識に到達した。現時刻は8:25。今日はここからだ。

米沢砕石の敷地を進む。この先の事務所で手続きをする必要がある。事務所で記帳すると、「萬世大路散策マップ」というパンフレットをもらえた。とてもありがたいのだが、テーマパークに来たかのような違和感もあった。

米沢砕石の敷地を抜け、ようやく万世大路の雰囲気がある道に到達した。写真は瀧岩上橋。S7竣工。昭和の改修の際に架けられた橋だろう。

大部分の方には説明不要だろうが、この道はM14に車道として開削され、昭和初期の大改修の後S41まで現道として使用された旧R13だ。未舗装でありながら、圧倒的な道幅がそれを物語る。

左手には、栗子隧道まで3.5 kmであることを示す標柱が立っている。栗子峠道の山形側は遊歩道として完璧に整備されている。少し残念な気もするが、ここはピストンとならざるを得ないし、藪道よりは良い。明治車道由来の未舗装旧国道を味わいながら、淡々と自転車を押して進む。

標高700 m。小雨がぱらついているような気もするが、寒くはない。今日ここにこのようなコンディションで来れたのは奇跡的だ。

米沢方面を振り返る。米沢の市街地からこの道が見える可能性があるのかはとても気になったのだが、今回峠道を走った感じでは難しいような気がした。

切通し。S41までこの道がR13だったとは思えない幅員なので、右手の法面はだいぶ崩れているのかもしれない。

ここは昭和の改修だろう。

現時刻は9:35。栗子隧道まであと1 km。

最後のつづら折れの区間。もう一つカーブを曲がって進めば栗子隧道のはずだ。標高を上げるにつれて雲の中に入りつつあるようで、視界が悪くなってきた。

米沢の市街地からここまで、栗子峠道の米沢側はとても素直でリーズナブルな道のりだ。

最後のカーブを曲がり進むと、前方に二つの巨大な穴が見えた。栗子隧道だ。

霧で上部の稜線が見えないのが残念。ここは明治時代に開削されたとは思えない立地で、霧がなければそれを感じられたはずだ。

まずは左手の坑口から。栗子隧道がS11に改修された際に建設された坑口だ。改めて、戦前の竣工とは思えない広幅員に驚く。例えば、同じような立場にあるS30竣工の旧R19鳥居隧道と比べるとはるかに幅広に感じる。これまで訪れたなかでは、これに匹敵する戦前の隧道はS5竣工の旧R1宇津谷隧道くらいだろうか。S10竣工の旧R8賤ケ岳隧道もこれより狭く感じる。三浦半島の隧道にはかなり広いものがあったかもしれない。

言うまでもなく栗子隧道は閉塞しており通り抜けはできない。通り抜けできない隧道には普段は入らないのだが、せっかくなので少しだけ覗いていく。崩落が凄まじく、地質が良くないように感じられる。S11という時期も、物資が不足していただろうから良くないだろう。明治隧道を掘り下げたという点も、良くないように思う。

明治時代に先進的な道路が開削された重要な道を改修された隧道にもかかわらず、このように短命になっていしまっているのは、このような理由からだろう。

続いて明治時代の坑口に行こう。M14竣工で、明治時代には栗子山隧道と呼ばれていた。こちらの坑口は、昭和の坑口にも増して大きく感じられた。開削当時の延長は876 mもあり、M14としては破格の長さだ。何せ、M17竣工の鉄道隧道の柳ヶ瀬隧道よりも3年古い。最も古い煉瓦製道路隧道の鐘ヶ坂隧道は268 mの延長で、M16竣工だ。覆工はなく素掘りだが、当時としては破格の高規格な道路であったことを伝える隧道だ。

現時刻は10:10。そろそろ帰ろう。歩きでもよいので、晴れているときにもう一度来てみたいと思った。

栗子峠道を下ってゆく。写真は内釜沢に架かる橋。この石組の橋台は明治道由来だろうかと思ったが、さすがに違うだろうか。

瀧岩上橋に戻ってきた。

米沢砕石に立ち寄り、R13の現道へ。今朝下ってきた道を上り返す。

今日2回目の西栗子トンネル。正直億劫だが、仕方がない。

西栗子トンネルの中央点。R13の現道ではこのトンネルが栗子峠に対応する。写真を見るともう少し先で勾配が変わっており、そこが峠といえる。

無事に抜けてきた。西栗子トンネルの板谷側坑口。坑口が低くなっているのは、かつて貼られていた天井板の名残だ。笹子トンネルの事故により取り外されたのだろう。

山形県から福島県へ。ここよりわずかに北の栗子隧道では県境は稜線にあったが、急激に変化して、ここでは県境は谷にある。

続いて東栗子トンネルへ。こちらもS41の竣工で、西栗子トンネルよりは少し短いが、それでも2 km以上の延長がある。明治時代に開削された大きな峠を二つの長大トンネルでクリアするというのは、矢ノ川峠ととてもよく似ている。

東栗子トンネルも無事に抜けた。R13のおにぎりが立っている。

福島側の万世大路へのアプローチはここから始まる。現時刻はちょうど正午。ここで昼食休憩をとった。

地図のリンクは https://ridewithgps.com/routes/41530800

今日は走行距離はあまり意味はないんだけれど、ここまでの道のりは約30 km。無事に栗子隧道の米沢側を拝むことができた。次は福島側だ。
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