77. 福井県 前編
2021年11月
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これまでの遠征で何度も福井県の地を踏んでいたが、時間の都合でやり残したこともあり、まとめて訪問することにした。その結果、福井県の圧倒的な道の歴史の元にひれ伏すことになった。


今回は木ノ本駅を6:50に出発。第34回第38回以来の7年ぶりだ。第34回と第38回はいずれも、名古屋に来て最初の年の遠征だ。実は、あと数か月で名古屋を離れることが決まっている。うまく伏線を回収する遠征になれば。

ということで、今回は特に長い距離を走る予定ではないが、気合を入れて臨んでいる。第38回ではここを8:25に出発したが、その時刻の出発だと今回は肝心なところで日没してしまうと予想されるため、米原に前泊した。

R8を少しだけ西へ。青看によると、敦賀まで28 km。第38回では寄り道をしつつもR8で敦賀に向かったが、今日はR365で北に向かおう。

前方の稜線には、旧R8の賤ヶ岳隧道がある。一瞬、寄り道して行こうか迷ったが、もう4回も走っているしやめておいた。奥の青看の交差点を右折。

R365を北上する。北国街道と呼ばれており、過去にはこのルートが北陸道だった時代もあるようだ。長浜市から余呉町へ。

旧道っぽい道があったので走ってみたが、どうだろう。前方には余呉の中心部の集落が見えているだろうか。その上空に見える霧は、余呉湖からしみだしていたかもしれない。

余呉の中心部を抜けて進む。ここから先のR365は、北陸線の廃線跡が利用されている可能性がある。右手には、木之本からずっと北陸自動車道が並走している。谷が真っすぐ伸びる快適な道のりだが、ここは北陸の玄関口といえる重要な道だ。

小さくて見づらいが、青看によると越前市46 km、南越前38 km。それぞれの地名には、修正された形跡がある。武生46 km、南条38 kmのままにしてくれていた方がはるかに分かりやすいと思う。そして、今日のゴールは武生となる予定だ。

柳ヶ瀬の集落を抜けて進むと、右手にr140が分岐し、写真の通行規制の標識が現れた。今日最初のターゲットの登場だ。

柳ヶ瀬隧道。M17竣工。長浜と敦賀を結ぶ鉄道路線として造られた隧道であり、日本で初めての長大隧道だ。その後も北陸線として供用され、S32の北陸線の深坂トンネル経由への換線、さらにS39の廃線の後、道路として供用されている。コンクリートのポータルはその際に造られたものだろうか。左手には扁額のレプリカが設置されている。伊藤博文による「萬世永頼」。このレベルの隧道になると、扁額の文を揮毫するのも超々大物だ。

右上には、北陸自動車道のトンネルが見えている。現代の高速道路と明治の鉄道路線が同じ地点で稜線を越えているのは面白い。ここまで走ってきた感覚からすると、どこで稜線を跨いでも良いように感じられるのだが、ここが有利ということなのだろう。

さて、敦賀側の坑口は第38回で訪問したが、その際にこちらの坑口を拝むことはできなかった。おそらくこの隧道が狭すぎるため、自転車と歩行者が通行禁止とされているためだ。もちろん自動車の離合も不可能で、写真の通り信号により通行が制御されている。

第38回では隧道の内部は覗かなかったのだが、今回は赤信号のタイミングを見計らって、迷惑をかけないように少しだけ見学することにした。

一定の下り勾配でとにかく一直線に隧道が伸びており、1 km以上先の敦賀側の明かりが見えていることにまず感動した。隧道の下半分は石組みで、上半分はコンクリで補強されているが煉瓦積みだ。特にこの石組みは明治の黎明期の丁寧さを感じさせる。勾配や断面の狭さなど、色々と深刻な問題を抱えた隧道だったのだろうが、諸外国の支援があったにせよ、日本が初めて建設した長大隧道がこの出来というのは、本当に素晴らしいことだと思う。

柳ヶ瀬隧道を後にして、引き続きR365を北へ。

現時刻は8時過ぎ。右手に通行止の標識が現れた。椿坂峠の旧道だ。

ここはもちろん旧道を走る。これより1.5 km落石注意。おそらく峠までだろうから、峠道はそう長い距離ではないはず。

ここで再び越前市、南越前までの距離を示した青看が現れた。これらの市町の成立はH17なので、この道の旧道化がそう昔のことでないことを意味する。帰宅後に調べると、現道の椿坂トンネルの開通はH26とのことだ。

ロックシェードが現れた。この道を独り占めできるのは最高だ。

自分には適度な寂れ具合。人の気配も全くなく、快適に上ってゆく。

ロックシェードの先で大きく右にカーブして尾根を巻くと、視界が開けた。

前方の窪みが峠だろう。

8:25に椿坂峠に到達。標高497 m。旧道分岐から約160 m標高を上げた。

峠からの下り。こちらはほとんど直線的に下ってゆく。夜に雨が降ったのだろうか、路面が乾いていないため滑らないように慎重に下る。

椿坂トンネルの中河内側の坑口まで下ってきた。現道に合流。

中河内の集落の手前にある小さいピーク。小峠と名前がついているようだ。

R365は椿坂峠と栃ノ木峠を連続して越える形になっており、その中間に中河内がある。ここは北国街道時代は宿場として栄えたらしい。大平峠・飯田峠の構造と少しだけ似ている。

中河内を過ぎると栃ノ木峠への上りが始まるが、椿坂峠の北側と同様に穏やかな地形であり、緩やかに上る。写真の地点で朝食休憩をとった。

峠の付近はスキー場だ。

ちょうど9時に栃ノ木峠に到達。標高537 m。滋賀と福井の県境を跨ぐ。近江と越前の国境でもあり、北陸地方の入口といえる重要な峠だ。

写真の解説文によると、峠には、峠の名前の由来となった栃の木があったようだが、残念ながら2年前に枯れてしまったらしい。

ここは中央分水嶺の峠でもある。中央分水嶺としてみたときのこの辺りの特徴として、日本海側が非常に狭いということが挙げられる。ここから海まで直線距離で10 kmもない。そのため地形が険しく、どこに道をつけるのかという問題が生じるが、これについてはこの先の道のりで向き合うことになる

写真のように福井側の地形は険しく、栃ノ木峠は典型的な片峠といえる。従って、おそらくこの峠に対応するトンネルを掘ることは難しい。この峠道がずっとR365の現道であり続けるように思う。

ここから先は福井県。今庄を目指して下る。

前方にこれから進む道路が見える。左手にはかなり高いところに道路が見えるが、栃ノ木峠から木ノ芽峠に向かう林道だろうか。

大規模なつづら折れで下る。写真は峠方向を望む。

さらに下ると、木ノ芽峠トンネルから下ってきたR476と合流。ここから先はR365とR476の重複区間だ。

木ノ芽峠は栃ノ木峠と同様に歴史のある峠だ。今日のメインテーマである、福井県の嶺北と嶺南を結ぶ道、または、越前と若狭を結ぶ道の一つといえる。ただし、街道の頃の木ノ芽峠道はこの地点を通っておらず、一つ西側の谷筋を通っている。

重複区間を一気に下る。写真のように、R476とR365のおにぎりを左右に並べるのがこの区間の流儀らしい。同じようなおにぎりを複数回見た。

少し迷ったが、9:40に第37回のゴールの今庄駅に到達。ここも7年ぶりなので再訪を楽しみにしていたのだが、駅舎はきれいに改装されてしまっていた。

本当は今庄からもう少しだけ北上して湯尾隧道を訪問できればよかったのだが、走行時には気づいていなかった。

地図のリンクは https://ridewithgps.com/routes/41474099

第37回では徳山から冠山峠を越えて今庄までやってきた。そのときに残念ながら時間切れと気力切れで走れなかった道を、これから走ろう。第37回では魚見峠の下り坂で転倒、流血し、やる気がなくなってしまったことを思い出した。

ここまでの走行距離は39 km。3時間弱でこの距離なので、良いペースといえる。椿坂峠、栃ノ木峠峠のいずれも、上りが厳しくなかったためだろう。この先は見どころが続くので、時間はいくら余裕があっても良い。
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