76. 十津川村 前編
2021年10月
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憧れの村の一つである十津川村。とにかく広大で、紀伊半島の最深部に位置しながら、日本の歴史にもしばしば顔を出すとても魅力的な村だ。第74回で東熊野街道を走破し、手が届きそうなところまで辿り着いた。第74回の借りを返すべく天気がよさそうな日をじっと待ち、ついに走るときがやってきた。


矢ノ川峠に挑んだ第68回と同じホテルに前泊し、5:40に熊野市の木本を出発。第68回の出発は7:30だったので、それと比べて今回はかなり気合が入っている。今日は少なくとも140 kmは走らないと帰れないし、メインのターゲットはゴールに近いので、日没が早いこの季節にぬるい計画だと肝心なところで日没してしまうだろう。もう一つ、途中に厄介な時間制限もある。薄暗いうちに走り始めた。

まずは木本隧道に向かう。写真はその途中に撮った木本の町並み。
第68回では評議峠を上ったが、今回は佐田坂を上ろう。両者はR42の旧道と新道の関係にある。

木本隧道の大泊側坑口。夕暮れ時にこういう隧道を潜ったことは何度もあるが、夜明け頃に潜るのは初めてかもしれない。夕暮れ時とはまた違う静かな雰囲気だ。

木本隧道はT15竣工。これから走るR42佐田坂区間の開通より20年以上前に完成しているが、佐田坂の開通を見越して建設されたはずだ。

木本隧道を潜ると海辺に出る。今日はここからひたすら紀伊半島の内部を目指すことになる。

さあ、佐田坂を上ってゆこう。佐田坂はバイパスのような道から始まった。ここには旧道があるはずだが、気にせず上る。峠といえる小阪トンネルまで、ここから300 mは上らなければならない。

淡々と上る。周囲が明るくなってきた。本当はもう少し暗い中を上ることを想定していたが、遅刻気味だ。

太平洋を望める地点が数か所あった。

R42の標識。この辺り、登坂車線が設定されている。この佐田坂の開通はS24で、矢ノ川峠を越える道とセットで使われていたこともある、かなり古い道だ。勾配は緩く、問題なく上ってゆける。現在は、無料の熊野尾鷲道路が開通しているためR42としては実質的に旧道化しており、交通量は少ない。

尾根を巻くと、前方の視界が開けた。海からたった数kmしか走ってきていないにもかかわらず、すでに雄大な山岳道路といえる。矢ノ川峠道の一角を成すだけある道だ。

今日はかなり早い時間から走り始めたが、調子は悪くない。淡々と上ると、登坂車線が終わった。峠の予感。

6:30に小阪トンネルに到達。ここは峠といってもよい線形だ。標高は325 m。せっかくなので左手の小坂隧道を覗いたのち、現道のトンネルを潜って進んだ。

少し下り、小阪の交差点で左折しR42と別れた。ここから先はR309だ。

五郷のエリアを進む。この区間は大又川に沿って下る区間なので気楽だが、この先で再び上りになるので、ここで時間を稼がないといけない。

R309の旧道。この辺りで、R309の現道にR169が合流している。第74回に延々と走ったR169だ。

五郷の中心部を抜けると、再び山道になった。この辺りは七色ダムのダム湖である。前方に見えているのは高尾谷トンネル。左手には旧道のラインが見える。ここではインシデントが発生したのだが、問題なかったはず。

高尾谷トンネルを潜らず、旧道の高尾谷隧道へ。S7竣工。扁額は右書きで高尾谷隧道。相当に力が入った装飾の隧道だ。七色ダムの竣工はS40なので、竣工の時期的にダム建設とは関係がなさそうだし、この見た目もそう主張している。通行止だが、もちろん内部を通過。

高尾谷隧道に続き、写真の土場隧道へ。ここは真新しい新土場トンネルの開通により旧道となっている。土場隧道はS33竣工で、新土場トンネルはH29竣工。

さて、ここには上部に初代の土場隧道が眠っているとのことだが、見えない。

土場隧道を潜って下北山側へ。坑口の右手を上ってゆけば、旧隧道にたどり着けるようだ。自分は挑まなかったが、確かに坑口の上部に石垣の道が見えた。

土場隧道のすぐ先で、県境を跨ぐ。この先は奈良県の下北山村だ。第74回ではR425が坂本ダムの先で通行止めで、サンギリ林道へ迂回したので足を踏み入れることはなかった。第74回では上北山村の雰囲気に驚いたが、下北山村も人口千人を切るいわゆる秘境の村といえる。

土場隧道を境に脇を流れる川が大又川から北山川に代わり、ここから先は上りになる。川を渡った対岸は和歌山県だ。和歌山県は自転車で未踏なので足を踏み入れておきたい気もするが、この辺りで和歌山県の地を踏むのは結構大変だ。今日は最後にチャンスがあるはずなので、そちらに期待しよう。

少し進むと、写真の分岐に到達。地面の大淀と十津川がかっこいい。十津川という名前はここで初めて現れたように思う。自分はここを左に進んで十津川村を目指す。R169、R309とはここでお別れだ。

現地では確認しなかったが、写真の大里トンネルの扁額には、電源開発の社章が刻まれているようだ。この隧道が、この先にある池原ダムの建設と関係があることを示す。

ここから先はr229。ORJによると、ここまで走ってきたR169とセットで、第2期の東熊野街道ということになるようだ。明治期に開削された道路で、先ほどの旧土場隧道もこの道路開発に関係しているらしい。

r229のヘキサの下に、重要な看板が取り付けられている。R425の通行時間制限のお知らせだ。これによると、この先のR425の法面工事のため10時までは通行止で、その後は走行できるが10時半には再び通行止になる。現時刻は8時。順調に行くと該当の地点に9時半には着いてしまいそうだが、この制限は遠征前に認識していた。木本を早い時間に出発した理由の一つは、ここを10時半までに通過するためだ。

しかしこの先で、今日は工事が行われていないことを知った。時間を気にせず気楽に進むことができ、ありがたい。

これまでの道のりとはうって変わって長閑な道のりを進み、8時半に第74回でも走行したR425に到達。ここは寺垣内という集落で、役場もある村の中心部だ。このことも、ここまで走ってきたr229が下北山村にとって中心的な道路であることを示唆している。

ここまで下北山村を走って感じたことは、上北山村と比べて隔絶感が低いことだ。何というか、街にも海にもより近い気がするし、人の気配がしない区間も短く感じる。

左折して十津川村を目指す。

集落を抜けると、ゲートが現れた。今日はもちろん開いている。ここから先は白谷トンネルを目指して上る峠道だ。

まずは快適な杉林から始まった。

ここまでずっと川に沿って谷を詰めてきたが、つづら折れが現れた。ここが通行規制地点で、9時過ぎに到達。いかにも崩れやすそうな地質の法面で、しかも何段も道路がある。

つづら折れの上段に上ると視界が開けた。前方に白く見えているのはこれから進む道の法面だろう。白谷トンネル付近が見えているのかどうかは分からなかった。

カナウナギトンネル。S41竣工。いかにも林道のトンネルだが、実際R425のこの区間はS44に林道白谷線として開通しており、車道としての歴史は浅いようだ。つまり、下北山と十津川の間の人の往来は多くなかったということだろう。それぞれの村にとってメインの交通は南北方向だろうし、隣の村とはいえ、これだけ離れていると自然なことと思う。

大きな谷を詰めて折り返す。

特徴的なヘアピンカーブ。右上にこの先の道が見えている。周囲の稜線も低くなり、明るくなった。いつものことだが、この雰囲気になると峠は近い。

ヘアピンカーブを曲がると、景色が一変した。視界が開け、青看が現れた。十津川まで27km。

振り返ると、ずっと遠くまで見渡すことができた。海が見えた気もしたが、幻覚だろう。

地図のリンクは https://ridewithgps.com/routes/41472841

現時刻は10時。10時にここに到達したということは、時間に余裕ができてこの先楽勝かと思ったが、それは勘違いだった。十津川村はそう甘くはなかった。
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