74. 東熊野街道 前編
2021年4月
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日本屈指の秘境である紀伊半島の内陸部。関東でネットで見ていた頃は別世界のように思えたし、名古屋に来てからもここを走れるとは想像していなかった。今日は残念ながら天気は悪いが、これでも最善を尽くした結果なので甘受できる。ここは日本で最も雨が降るエリアでもある。


今回は第68回以来の尾鷲を6:15に出発。R425の起点である坂場の交差点に立っている。南紀のエリアを楽しむのであれば、前泊は必須といえるだろう。残念ながら今日は天気が良くないが、あまり先のことは考えずに進むことにしよう。

写真に小さく映っているファミマで補給。次の補給地点は約50 km先になるので、いつもよりも多めに買い込んだ。少し重いが仕方がない。

R425を上り始めた。早速おにぎりと「奈良県内岩盤崩落のため通行止め」の標識が出迎えてくれた。もちろん織り込み済みだ。

坂場隧道、S34竣工。写真は又口側の坑口。隧道竣工以前は左手を通っていたのだろう。

坂下隧道。M44竣工。今も現役国道としての役割を果たす明治時代竣工の煉瓦隧道である。それって現在の日本にあといくつあるのだろう。この隧道に関する詳細は第68回に書いたので、ここでは省略する。

坂下隧道を抜けて進む。この先に初代の坂下隧道に向かう分岐があり、その先は今回初走行の区間だ。

現時刻は6:40。写真はr760の分岐であり、このすぐ先でクチスボダムに到達。写真の青看によると、左に進むと池原、吉野。ここで吉野という地名が出るとは予想していなかった。R425が、尾鷲と吉野を結ぶ道として認識されていたことが伺われる。

しかし漕いでいて調子が悪い。頭は起きているのだがまだ体が寝ているのだろう。クチスボダムで休憩し、走り出すとかなり改善した。

この区間のR425は、平均するとこのような雰囲気。坂下隧道が明治隧道であったことから分かるように歴史のある車道だが、この先の池原ダム、坂本ダムの建設に伴いS30年代に改良されたいわゆるダムの道ともいえる。点在する隧道の扁額には電源開発の社章を確認できる。

人とは一人も会わないが、動物とはよく遭遇した。かもしか、鹿、猪の順に出会ったように記憶している。尾鷲市の廃棄物の処分場があり、交通量が皆無というわけではなさそうだが、R425を上り始めてから、今日はまだ誰にも会っていない。

土砂崩れを復旧したのだろうか、このように高規格な区間もある。交通量を期待できるどうかは別にして、将来的には全線をこの規格に改良する予定なのだろうか。ここまでやってくれれば、R425も国道として自然なありふれた姿になると思う。

栃川原橋。ここまでかなり長い区間、又口川の右岸を遡ってきた。おそらくここまでのどこかで明治時代に開削された区間も終わっている。この橋を渡ると、又口川を離れ、八幡トンネルに向かう上りとなる。

上ってゆくと、周囲の山並みの稜線が近くなってきた。峠まではもう少しだろうか。雨はぎりぎり降っていない。

8:05に八幡トンネルに到達。S33竣工。坂場隧道と同時期の開通であり、ダム建設に伴い電源開発により開削された道路だろう。

ここで一旦上りは終わり。従って、ここは八幡峠ともいえるだろうか。標高は約560 m。

現役国道であるにも関わらず照明が設置されていない八幡トンネルを抜けると、さらに橋を渡り、この広場に到達。青看には池原ダムまでの距離が書かれている。

立派なロックシェードが現れた。この辺り、かなり雨が降っている。八幡トンネルを抜け、山並みの西側に出たから仕方がないかもしれない。第61回の反省から、財布をリュックにしまったうえで、リュックにカバーをかけた。

八幡トンネルから一気に下り、8:20に県境に到達。ここから先は奈良県の上北山村だ。三重-奈良の県境は長い距離があるが、ここが最も三重県の薄いところだと思う。交通量は皆無だが、奈良県の最奥部に最も容易にアクセスできるルートといえる。

早速青看が出迎えてくれる。下北山、十津川ともここから結構な距離だが、恐ろしいのは、それぞれ上北山村の隣の村、その隣の村ということだ。村が広大なのか、それともR425の線形がやばいのか。おそらく両方だ。残念ながら今日はどちらにも向かえない。

奈良県に入り下ってゆくと、周囲の様子が険しくなった。

道幅は十分だが、よくここに道を通したといえる素晴らしい雰囲気。温見峠冠山峠の福井県側を思い出しながら進む。

いくつか隧道もある。写真は高倉第一トンネル。S34竣工で、この隧道の扁額にも電源開発の社章が刻まれている。
このあたり、完全にダム湖の雰囲気になっている。

不動橋を渡る。橋脚が華奢だ。

この辺りで、R425に入ってから初めての人の気配。釣り人の自動車が停めてあった。ここまで人より動物との遭遇回数の方がはるかに多い。

出合橋を渡る。いかにも大ダムに伴い建設された橋に見える。ここを走ったときにはかなり立派な橋に思えたが、改めて見るとこのスペックで現役国道としてあり続けていることはすごいことと思う。

このあたりにはそれなりの規模の集落があったようだが、全て湖底に沈んでおり、現在は無人だ。複雑で自分には追いきれていないが、ここには尾鷲に至る索道もあったようだ。

出合橋を振り返る。全く人の気配のないエリアを、R425は淡々と繋いでいる。今回はもう少しするとR425とはお別れだが、いつかこの先を走ろう。

この辺りまでに、ほとんど雨は止んだ。

坂本ダムが見えた。

8:50に坂本ダムに到達。ここでR425とはお別れだ。写真にも小さく写っているが、この先崩土のため通行止。2019年から続く通行止だ。21枚上の写真では、「岩盤崩落」だった。それと比べると「崩土」はかなりしょぼいが、この先を覗くのは止めておこう。今日はこの先に長い道のりが待っている。

R425と別れ、坂本ダムの天端を進む。この先は林道サンギリ線。サンギリ峠を越え、上北山村の中心部に到達できる。R425よりもこちらを優先して整備している気配があるので、R425の復旧には時間がかかるのではないだろうか。距離的にも、尾鷲から上北山の中心部に到達しようとすると、こちらの方が10 km程度短い。

坂本ダムは、R37竣工。これまでの遠征で何度も見かけた、S30年代に建設された大ダムの一つだ。

朝食休憩をとり、9時に林道サンギリ線を上り始めた。今日はまだまだ時間に余裕がある。

写真の地点はきれいだが、林道だけあって、路面にかなりの数の石が落ちている。今日は時間に余裕があるが、こんな奥地でパンクすると面倒なので気を付けて上ってゆく。

あっという間に坂本ダムが眼下になった。

途中、上り坂が落ち着き、ほとんどトラバースとなった。険しい箇所にはガードレールもしっかりと配備されている。奈良県としてはR425よりもこの林道を優先して維持していることが伺われる。

R169まであと10 km。この林道には、このような標識が1 kmおきに立っていて、上ってきた距離の目安となってありがたい。裏には、R425までの距離が書かれている。あと19 kmから始まったような気がするので約半分、ということはそろそろ峠だろうか。左手の尾根の稜線はまだ遠いが、サンギリ林道は峠をトンネルで抜いているので稜線が遠いからと言って峠が遠いとは限らない。例えば八丁トンネルはそうだった。これは上りが終わるだろうかと気を抜いてしまう良くない展開だ。

右手に土の山。いかにもトンネルを掘った残土に見えて、この奥に坑口があるかと思ったが、期待外れだった。

しかし、先ほどの土の山はやはりサンギリトンネルの開削に伴う残土だったのだろうか。土の山から数100 m進むと、隧道が現れた。現時刻は10:10。坂本ダムから1時間強で上ってきた。良いペースといえる。

サンギリトンネルの標高は約860 m。坂本ダムから500 m位標高を上げたことになる。林道らしからぬ標識が立っているのが印象的。上北山村の幹線道路として使われている気配を感じた。

地図のリンクは https://ridewithgps.com/routes/41472223

ここまで約37 km走ってきた。走行時間は約4時間で、かなりの上りがあったと思うとこんなものだろう。今回の遠征においてここまではターゲットへのアプローチであり、本当に楽しいのはここから先のはずだ。今後、なるべく雨が強くならないことを祈った。
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