39. 国道418号武並編 前編
2014年9月
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現役国道にして廃道であり、ある意味日本最強の国道である国道418号。ここにアクセスできるようになったというだけでも、中京圏に引っ越してきた意味がある。ここはおそらく夏場に行くべきところではないのだが、挨拶代わりに少し覗いてみよう。


今日は7:15に自宅を出発。夕方から用事があるので遅くとも16:00には切り上げたい。中央本線に沿ってどこまで走れるだろうか。まずは多治見を目標に走り出した。

左手にナゴヤドームが見えた。名古屋はまだ観光客気分だ。

r30宮前橋で矢田川を渡る。ここから先はゆとりーとラインの高架下を進む。

r30からr15へ。小さなアップダウンを繰り返しながら進む。
写真は志段味の辺り。丘陵地帯を抜け、視界が開けた。この先のマクドナルドで朝食休憩をとり、8:20に出発。

新東谷南交差点からR155と重複。少し進んだ先の交差点で道の雰囲気が一変した。写真では見えないが、ここから時間雨量40 mm・連続雨量120 mmで通行止めの規制が敷かれている。今日はここからだな。

名古屋市から瀬戸市へ。R155は雨量規制も納得のかなり険しい斜面に付けられている。

鹿乗町交差点でR155、r15と別れr53へ。青看によるとr53方面は進入禁止だが、自転車なので問題ない。
進入禁止の原因の鹿乗橋。只者で無いようにみえる。橋を渡ると春日井市へ。

写真は、鹿乗橋を渡った先の三叉路を左折し、少し高蔵寺側に進んだ地点。交通量が多く、どうしても右折できなかったためにここにいるのだが、おかげで重要な白看を発見できた。直進すると多治見まで12 km、右折すると瀬戸まで6 km。これは、右折方向、つまり鹿乗橋が旧R155で直進方向は旧r15ということを示唆する。

しかしここまでは想定内。帰宅後に調べて驚いたのは、鹿乗橋がS26に改修されており、その内部にはM43竣工、日本で9番目に古い鋼鉄製アーチが残っているということだ。

r53からr205へ。r205は玉野用水と中央本線の間を進む。

r205を進んでいると、中央本線の古い構造物が目に入ってくる。M33開業時の構造物だろうか。

定光寺駅の手前でr205は右折。折角なので直進して行けるところまで行ってみよう。

ここが限界地点。右手に見えるのはT10竣工の玉野堰堤。先述の玉野用水に水を送る堰堤だ。左手の階段の先には中央西線旧隧道の玉野三号隧道があるはずだが、面倒そうなので断念。

二枚上の三叉路を左折し、城嶺橋を渡ってr15現道へ。写真は城嶺橋から庄内川の上流側を望む。左手に定光寺駅が写っている。下流は千歳樓が酷い状態なので載せる気になれない。撤去が困難なことはわかるから、ここに鉄筋で建てさせたこと自体が観光地としては失敗なのだろう。
さて、この城嶺橋はS12竣工だが、最初の橋はM43に架かったらしい。先程の鹿乗橋と同じ竣工年だ。一方、定光寺駅の開業はT13だ。ということは、やはりこの城嶺橋は名古屋と多治見を繋ぐ道路として架けられたのだと思う。しかし、ここから先、庄内川の左岸を伝う現r15は愛岐道路としてS32に開削された元有料道路だ。ということは、それまでのr15は城嶺橋を直進し、r205からR248のルートを通って多治見まで繋がっていたのだろうと妄想する。

r15を進む。対岸に中央西線の旧隧道がちらちら見える。

愛知-岐阜県境に到達。現時刻は9:15。

古虎渓トンネル。ここには旧隧道がある。ただし、愛岐道路の旧道ではない。

残念ながら、名称・竣工年不明。古虎渓駅に至る徒歩道として現役だ。市街地で見るようなごく普通のおばちゃんが前方から歩いてきた。かなりシュールな構図だ。

r15のヘキサ。かなり年季が入っている。

渓谷を抜け、視界が広がった。多治見の市街地に到達した。写真は土岐川を渡る国長橋から古虎渓方面を望む。人の手で流路を付け替えたと勘違いしかねない、シャープな斜面が特徴的だ。

9:45に多治見駅に到達。さらに東に進んで行こう。中津川まで行ければいい。おそらく南木曽まで制限時間内に辿り着くのは難しいだろう。

多治見から土岐へはR19ではなくr385を使う。r385多治見河合線は、地図を見る限りでは楽しめそうな県道だ。早速、大型車通行不能の看板が出迎えてくれた。

土岐川沿いを進む。予想に反してあまり険しい道ではなかった。道幅は広くないが、十分に整備されていて走りやすい。むしろ自転車にはお薦めの爽快な県道だ。

引き続きr385を進む。土岐駅前を通過すると、何となく旧道ぽく感じられるようになった。

河合交差点で現R19に合流する寸前に現れた踏切。第3明治街道踏切という名前に驚いた。ネットで調べると、少なくとも第5と第6は多治見市内に残っているようだ。明治時代の街道がどのようなルートだったのか気になる。

現R19を少し走り、山野内の交差点で左手にR19の旧道が分岐。あの有名なr352に指定されている。いつか、r352の核心部を訪れる日がくるだろうか。少なくとも、R418とr352の分岐地点には立ちたい。

瑞浪駅を過ぎると再び現R19に合流。前方の視界が開け、一見爽快に見えるが、大型の交通量がとても多いので精神的につらい。また、小さなアップダウンが多い。瑞浪からはr421を走るべきだった。バイパスのようなR19から眼下にちらちらと走って楽しそうな道が見えてつらい。
新しい車道は、水平方向の屈曲は少ないんだけど代わりに鉛直方向の上下動が多いと思う。古い車道は逆だ。自転車が走りやすいのは断然後者だ。

無心で走り続け、R418との交点に到達。早速青看に修正跡を発見した。飯地と直される前は八百津だったんだろうか。また、路面の点線の引き方も酷い。今立っているところはR19への取り付け道で、国道でもなんでもない。
現時刻は11:30。ちょうどきりが良いので、T字路を左折したすぐ先の中央道の高架下で昼食休憩をとった。

地図のリンクは https://ridewithgps.com/routes/41382738

ここまでの総走行距離は56 km。後編はR418の初走行だ。
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